現代認識論のひとつの紹介

(公開後、2018/3/25に日本語文献を中心に何か所か加筆しました。)

 この記事は、学部後半から修士2年の現在に至るまで分析哲学における認識論を勉強/研究してきた私の視点と関心から、私が読んできた文献を紹介してみることによって、現代の認識論を紹介してみようというものです。私はこの四月で大学および研究から離れるので、これから認識論を勉強しようという方の参考になれば良いなと思っています。
 私が読んできたものを軸に紹介しているため、認識論の紹介としての偏りは当然あります。また、感想を述べている箇所が多いです。文献情報が不正確な箇所が多いかもしれません。挙げている文献のうち「(未読)」と書いてあるものは未読ですが、それ以外は少なくとも流し読みくらいはしました。
 記事が長くなったので、全体の内容を概観しておきます。1.1.では入門書・教科書についてコメントしています。1.2.では入門から少し進んだ書籍について紹介しています。1.3.では私が読んだ研究書について紹介しています。2.は私が特に勉強/研究したテーマについて紹介していて、2.1.では私が卒論で中心的に論じた、懐疑論に応答するためのJames Pryorの独断主義[dogmatism]という立場について文献を紹介しています。2.2.では私が修論で論じた不同意[disagreement]について文献を紹介しています。3.では、私が進学していたなら取り組もうと思っていた形式認識論(とりわけ確率的認識論)について、文献を紹介しています。

 

1. 書籍ベースでの全体の概観

1.1. 入門書・教科書など

 日本語で読める認識論の入門書はこれくらいしかなく、内容もよくできている。まず認識論について知りたいならこれを読むのがいいと思う。デカルト省察』に沿った懐疑論の章はとてもおもしろかった。
 戸田山先生らしく、この本では自然主義的認識論(自然化された認識論)について大きな紙幅が割かれている。とりわけスティッチの『断片化する理性』(未読)が大きく取り上げられている。私はけっきょく『断片化する理性』が重く取り上げられた他の論文や書籍には接することがないままなのだが、いまでは実験哲学がとても盛んで、認識論と関連する話題もとても盛り上がっているので、この本が示唆する方向はそういう方面へと受け継がれているのだろうと思う。実験哲学関連については、私はある程度おもしろそうだなと思いつつ不勉強で、以下ではまったく登場しない。
 

  • Nagel, J. 2014. Knowledge: A Very Short Introduction. Oxford University Press.
  • Prichard, D. 2013. What is this thing called Knowledge?. Routledge.
  • BonJour, L. 2009. Epistemology: Classic Problems and Contemporary Responses. Rowman & Littlefield.
  • Audi, R. 2010. Epistemology: A Contemporary Introduction to the Theory of Knowledge. Routledge.
  • Williams, M. 2001. Problems of Knowledge: A Critical Introduction to Epistemology. Oxford University Press.

 英語の認識論の教科書はたくさんあるが、私が読んだのは上記のもの。
 最初のNagel (2014)はVery Short Introductionsシリーズの1冊なのでとても短い。短いわりに、変わった話題にも幅広く触れられているので、ある程度認識論の知識がある人にもおもしろいと思う。たとえば、8世紀にDharmottraというインドの哲学者がゲティア事例にあたるものを当時の知識理論に対する反例として挙げていて、彼に続くインド―チベットの哲学者もこれらの問題について議論しており、14世紀の文献には知識の因果説についての詳細の議論もみられる、ということが説明されている箇所がある(第4章)。
 よく知られた本だが、Pritchard (2013)はおすすめできるよい本だと思う。内容はスタンダード、分量もコンパクトでわかりやすい。私が読んだのは2013年に出版された第3版だが、2018年に第4版が出るようだ。同じ著者のKnowledge. (2009) Palgrave Macmillan.は知識の分析に絞ってさらに議論を掘り下げた入門書だが、同じような筆致で書かれてい楽しく読める。私はBonJour (2009)はおもしろいと思った。ロック、バークリー、ヒュームという古典的なイギリス経験論の系譜を現代的な外的世界についての懐疑論の観点から紹介していく部分はとてもおもしろかった記憶がある。BonJourは伝統的な内在主義的基礎づけ主義の古くからの代表的擁護者なので、外在主義や自然主義を推してくる戸田山本のあとに読むと、バランスが取れていいかもしれない。
 Audi (2010)は、フィッシュ『知覚の哲学入門』、ローゼンバーグ『科学哲学』、ライカン『言語哲学』など数多くが邦訳されている Routledge Contemporary Introductions to Philosophyシリーズの1冊で、よくすすめられている印象もあるが、私はおすすめしない。これから認識論を勉強しようという人が読むとたいへんつまらなく感じるのではないかと思う(私がそうだった)。認識論についてのある程度の知識がある人が、Robert Audiという論者の立場の全体像を知りたい、というような場合には読むといいのではないかと思う。Michael Williams (2001)は著者の独特な立場の影響が濃厚で、おすすめしない。Williamsはセラーズやブランダムに影響を受けた議論を展開する人なので、そういう潮流に関心のある人には良いかもしれない。Williamsの立場については日本語で論じられた文献もあるが、私はそれほど関心をひかれなかったし、それほど影響力があるという印象も持っていない。
 私が読んでいない本では、Goldman A. & McGrath, M. 2014. Epistemology: A Contemporary Introduction. Oxford University Press.は、目次を見る限り新しいトピックにかなりの紙幅を割いているので、気になっている(未読)。


1.2. もう少し進んだ本
  • バリー・ストラウド,2006,『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか―哲学的懐疑論の意義』,春秋社.
  • ローレンス・バンジョー & アーネスト・ソウザ,2006,『認識的正当化』,産業図書.
  • Step, M., Turri, J. & Sosa, E., eds. 2013. Contemporary Debates in Epistemology. Routledge.
  • Hazlett, A. 2014. A Critical Introduction to Skepticism. Bloomsbury Academic.
  • Bradley, D. 2015. A Critical Introduction to Formal Epistemology . Bloomsbury Academic.

 とっつきやすいと思うので、日本語で読めるものはここで挙げておく(上記2冊以外の邦訳書としてはチザム『知識の理論』という重要な古典が挙げられる)。ストラウドの本の原著は1984年で、原タイトルはThe Significance of Philosophical Scepticism。この本は(外的世界についての)懐疑論研究の古典といわれる。私は卒論では外的世界についての懐疑論を扱ったが、認識論や懐疑論に関心を持つきっかけがこの本だったと思う。この本はデカルト、J. L. オースティン、G. E. ムーア、カント、カルナップ、クワインのそれぞれにこの順で1章ずつが割かれ、彼らによる外的世界についての懐疑論への取り組みと、その評価が論じられている。最後の部分ではスタンリー・カヴェルとトンプソン・クラークが軽く触れられている。この本は、古典研究の趣もあり、あまり現代認識論っぽさは感じられないようなところがある。決して読みやすい本ではないが、かなりおもしろかった記憶がある。邦訳は品切れで入手困難になっている。
 『認識的正当化』の原著は2003年。内在主義的基礎付け主義を擁護するBonJourと、外在主義的基礎付け主義を擁護する、現代を代表する認識論者であるSosaがやりとりをしている本。ある程度は非専門家向けにも書かれているし、内在主義対外在主義、基礎付け主義対整合主義という古典的なトピックに関心があるならば読むといいと思う。Sosaの立場は信頼性主義的な徳認識論だが、Sosaは本書のあとにどんどん立場を発展させているので、この本で示されるSosaの立場はだいぶ古いものになってしまっている(後述)。
 Contemporary Debates in Epistemologyはさまざまなトピックについて、ある論者が論文を寄せ、それに対して別の論者が反論を寄せたやりとり(場合によってはさらに反論への応答、および応答への再応答も含まれる)が収録された本。私は全体の半分くらいにしか目を通していないが、おもしろくて良い論文が多いと思う。新しいトピックも多く含まれている。初学者に勧められることが多いように思う本だが、けっこう難しい。興味をひかれるトピックについて読むといいと思う。Ram Netaが編集のCurrent Controversies in Epistemology (2014)という同じコンセプトのより短い本もある。
 HazlettとBradleyの本はBloomsbury Critical Introductions to Contemporary Epistemologyというシリーズの本で、同じシリーズにはEpistemology of Perception, Testimony, Justification, Knowledge-Howなどもある。私は挙げた2冊しか読んでないが、いずれも新しいトピックを多く抑えた良書という印象なので、ほかの本もおもしろそうだなと思っている。現代認識論で「懐疑論」というと外的世界についての懐疑論デカルト懐疑論)の話ばかりになっている印象があるが、Hazlettの本は外的世界についての懐疑論はもちろん、古代の懐疑論から帰納についての懐疑論、Knowledge-howまで幅広く論じている。私が卒論で扱ったJames Pryorのdogmatismとよばれる立場も触れられている。Bradleyの本は貴重な(?)形式認識論の入門書で、もう少し難しい内容まで書いてほしい気もするが、良い本だと思う。形式認識論とはいっても確率的認識論(ベイズ認識論)のみが扱われている。私が修論で扱ったdisagreementというトピックについても触れられている。
 最初に挙げた認識論の入門書・教科書の類は、全体的に古典的なトピックばかり論じられていて、最近のトピックがあまり論じられていない(Goldman & McGrath (2014)は例外)。認識論はそれらの本で論じられているような話題ばかりではないということをはやく知るためにも、1冊か2冊入門書を読んだら、Contemporary Debates in EpistemologyやBloomsbury Critical Introductions to Contemporary Epistemologyシリーズを読むか、気になるジャーナル論文を読むかするとよいと思う。もちろんStanford Encyclopedia of PhilosophyPhilosophy Compassは全体として良いリソースだし、The Routledge Companion to Epistemology (2011)などの本の気になるチャプターを読むのもよい。Oxford Studies in Epistemologyシリーズに収録されている論文は、難しいものが多いが質の高い論文が揃っている印象を持っているので、最新のトピックを知りたい場合にはとても良いと思う。


1.3. いくつかの研究書
  • Williamson, T. 2000. Knowledge and its Limits. Oxford University Press.
  • Hawthorne, J. 2005. Knowledge and Lotteries. Oxford University Press.
  • Sosa, E. 2007. A Virtue Epistemology: Apt Belief and Reflective Knowledge. Oxford University Press.

 まずはここ20年の認識論を語る上で欠かせない3冊から。
 Williamson (2000)はとてつもない本で、ここまで挙げたような認識論の本を読んだ後に読むと、認識論観(?)がひっくり返るような本だと思う。この本はKnowledge-Firstというスローガンとともに知られている。Knowledge-First Epistemologyは、「これまでの認識論は知識を信念によって分析しようとしていたが、知識が分析不可能な概念であることを認めて、知識を出発点にして他の概念を分析しよう」というものだと紹介されることがあって、これは確かに正しいのだが、このようなスローガンではこの本の意義は伝わらない。Knowledge-Firstは近年の認識論で大きく盛り上がっている話題の1つだと思う。McGlynn, A. 2015. Knowledge First?. Oxford University PressはKnowledge-First関連の議論を手際よくまとめている。McGlynnはいくつか論文も読んだが、「分析哲学の秀才」というタイプの論者だと思う。私は、Knowledge-First関連の議論については、Luminosity ArgumentやEvidential Probabilityの議論はとてもおもしろいと思っているが、E=Kとか、assertionの規範などの論点はあまり興味を惹かれない(もちろんこれらがそれほど独立しているわけでもないだろうけれども)。Williamsonについては、Williamson (2000)と他の論文を数本読んだ程度だが、鋭い洞察にもとづいて大胆な結論を持つ緻密な議論を展開する論者で、評判に違わず現代の最も素晴らしい哲学者のひとりだという印象を持っている。
 近年の認識論で流行っている他の話題としてはContextualismやSubject-Sensitive InvariantismやPragmatic Encroachmentというキーワード(?)で括られる議論(「文脈主義関連」とでもよんでおこう)がある。Hawthorne (2005)は、(ちょっと古くなってきていると思われるが)文脈主義関連の議論に良い見取り図を与えてくれる。文脈主義関連の議論は、言語哲学と接近するような議論だが、私はそれなりにおもしろそうだという印象を持っている。他方、この本はLottery's Paradoxとよばれる問題を軸にして議論を進めていくのだが、私はこの問題に関してはあまり真剣に取り組む気持ちが起きない。
 徳認識論も近年の認識論で流行したトピックだろう(最近は下火かもしれない)。Sosa (2007)は2005年のジョン・ロック講義をもとにした本で、Sosaの立場および信頼性主義的な徳認識論のひとつの到達点とされていると思う(されていないかもしれないが、とりあえずよく引用されている)。Sosa. 2009. Reflective Knowledge: Apt Belief and Reflective Knowledge. Oxford University Press.(未読)という第2巻あるいは続編もある。とはいえSosaは2010年のKnowing Full Well. Princeton University Press.(未読)ではまた立場を変えているらしい。Sosa (2007)を読んだのはだいぶ前なので、あまりよく覚えていないが、とても読みにくかった記憶はある。私の印象をいえば、Sosaの議論には確かに鋭さもあるが、その文章は、もっとわかりやすく書けるだろうと思ってしまうようなわかりにくいもので、あまり関心を惹かれない。徳認識論でいえば、Sosaのような信頼性主義的な立場は、Virtueが重要な役割を果たしているという印象をあまり受けにくい立場で、Zagzebski, L. 1996. Virtues of the mind: An inquiry into the nature of virtue and the ethical foundations of knowledge.(未読)が古典として挙げられるような内在主義的な徳認識論のほうが徳っぽい感じがする......らしい。
 Williamson (2000)は「ここ20年の認識論で最も重要な本」などといわれることがあって、私もその通りだなという印象を持っている。Google Scholarの被引用数も4000くらいで、分析哲学ではかなり多いと思う。Hawthorne (2005)も被引用数1350くらいあって、Williamson (2000)以降の認識論の本ではこれがいちばん多いのではないかなと思う(きちんと調べてはいない)。Sosa (2007)の被引用数は1150くらい。

 

  • Christensen, D. 2000. Putting Logic in its Place. Oxford University Press.
  • Bergmann, M. 2006. Justification without Awareness: A Defense of Epistemic Externalism. Oxford University Press.
  • Greco, J. 2010. Achieving Knowledge: A Virtue-Theoretic Account of Epistemic Normativity. Cambridge University Press.
  • Pritchard, D. 2015. Epistemic Angst. Oxford University Press.
  • Matheson, J. 2015. Epistemic Significance of Disagreement. Oxford University Press.

 次に挙げる本は、非常に影響力のある重要な本というより、私がたまたま読んだ研究書(のいくつか)。
 David Christensenは非形式的な認識論と形式認識論との中間的な分野で多くの業績を持っている認識論者で、Christensen (2010)もそのような分野の本。この本では、二値的信念と、度合いを認める確信度[credence]という2つの信念の捉え方について論じていて、二値的信念についての論理的整合性の制約は成り立たないということを論じ、確信度については「確率の公理に従わなければならない」という制約をダッチブック論証などによって擁護している。うならせるような素晴らしい議論がある本ではないと思ったが、私は後述するように形式認識論に関心を持っているので、この本はそれなりにおもしろく読んだ。Christensenの議論はそれほど難しくなく、わかりやすい。
 古典的な「内在主義対外在主義」についてはいまでもたくさんの論文が書かれているが、この話題についての最近の1つの研究書がBergmann (2006)。前半が内在主義批判で、後半が彼の擁護する外在主義の話。彼が擁護するのは固有機能説の一種。固有機能説ではBergmann以前ではPlantingaの見解が知られている。私ははじめこの「内在主義対外在主義」というテーマで修論を書こうとしたが、既にかなりの議論の蓄積があるトピックであることもあって、Bergmann (2006)や上述のバンジョー&ソウザ(2006)を読んで、あまりおもしろい話題ではないなと思いやめた。
 Greco (2010)は信頼性主義的な徳認識論を擁護した本。John Grecoは信頼性主義的な徳認識論の擁護者としてErnest Sosaの次に挙げられるような代表的人物だと思う。Sosaと比べるとかなりわかりやすく読みやすい文章で書かれている。この本も読んだのはだいぶ昔であまり内容を覚えていない。ニューヨーク・ヤンキースデレク・ジーターのバッティングの写真を表紙にしたのはセンスがいい。
 Pritchardは上述のように良い入門書を書いている人物だが、ものすごい勢いで本や論文を執筆している人物でもある。Epistemic Angstには少なくとも2015年末までの彼の外的世界についての懐疑論についての見解がまとめられている。私は卒業論文で外的世界についての懐疑論を扱ったので、彼の単著ではEpistemic Luck (2005)も読んだしEpistemological Disjunctivism (2012)も読んだし、論文も多く読んだが、Epistemic Angstに目を通したあたりから、あまりおもしろい議論ではないなと思うようになり、興味を惹かれなくなった。この本では、外的世界についての懐疑論には2つの根があって、1つは閉包原理を利用した懐疑論であり、これはEpistemic Luckで論じられているような新ムーア主義的な見解で解決することができて、もう1つは決定不全性原理を利用した懐疑論で、これはEpistemological Disjunctivismで論じられているような認識論的選言主義で解決することができるんだ、と論じている。
 既に述べたように私は修論ではdisagreementというトピックについて論じたのだが、このトピックについて包括的に論じている本としては上記のMatheson (2015)がある。この本はdisagreementについての議論の見取り図を与えてくれるという点で有益だが、著者自身の議論や見解は鋭い洞察を欠いているように思う。


2. 私が勉強/研究したテーマ

2.1. 独断主義[dogmatism]
  • Pryor, J. 2000. The skeptic and the dogmatist. Nous, 34 (4):517-549.
  • ― 2004. What’s wrong with Moore’s argument?. Philosophical Issues, 14 (1):349-378.
  • ― 2005. There is Immediate Justification. In M. Steup & E. Sosa (eds.). Contemporary Debates in Epistemology, Blackwell, 181-202.
  • ― 2012. When warrant transmits. In C. Wright & A. Coliva (eds.). Mind, Meaning, and Knowledge: Themes From the Philosophy of Crispin Wright, Oxford University Press, 269-303.
  • ― 2013. Problems for Credulism. In C. Tucker (ed.). Seemings and Justification: New Essays on Dogmatism and Phenomenal Conservatism, Oxford University Press, 89-131.

 私は卒論では外的世界についての懐疑論をテーマにしたが、とりわけ独断主義[dogmatism]とよばれる立場について論じた。外的世界についての懐疑論というトピックは、最近は下火なのかもしれないが、1995年くらいからDuncan Pritchardなどを代表的論客として大量の論文が書かれている印象がある。独断主義という立場はJames PryorがPryor (2000)において提唱したもので、基本的には「知覚には命題的内容があって、pという命題的内容を持つ知覚経験は、pという信念を持つためのimmediateな正当化を与え、またこの正当化は外的世界についての懐疑論を退けるために用いることができる」というようなことを主張する。もともとは懐疑論を退けるという目的で提唱された立場だが、最近では知覚的正当化の説明として懐疑論の文脈を離れて論じられているようだ。確か、Pryorのもともとの定式化だと、独断主義というのは知覚に限らずimmediateな正当化を認める立場のことで、上述のようなテーゼは「知覚についての独断主義」とよばれるべきものだったと思う(しかし他の論者にはこの特徴づけは守られておらず、独断主義といえば知覚についてのテーゼだとして論じられていることが多い)。
 PryorはPryor (2004)で、知覚的正当化に関してリベラリズムコンサバティズムという対立軸を設けて、独断主義はリベラリズムの側だと論じた(コンサバティズムをとるとされる代表的論者はCrispin Wrightである)。ややこしいのは、独断主義と非常に近い(ほとんど同じ?)立場を、Michael HuemerがSkepticism and the Veil of Perception. (2000). Rowman & Littlefield.(未読)という本で論じていて、この立場を「現象的コンサバティズム[phenomenal conservatism]」とよんでいることだ。Pryor (2005)は、いわゆる「所与の神話」批判や、それに対して独断主義がどのようなスタンスをとっているかが明快に整理されていて、すごく良い論文だと思う。Pryor (2012)はPryor (2004)の続き(寄せられた反論への詳細な応答)のような内容。独断主義に対しては確率を用いたBayesian objectionというものがあって、これに関連する論文も数多くあり、Pryor (2013)はそれを扱っている。
 Pryorの論文はどれも素晴らしい。すごくネチネチした書き方(?)をしていて密度が高く、読むのに時間がかかるが、綿密に構成されている印象を受ける。哲学独特の非形式的な議論だけでなく、確率を用いた議論にも精通している。単著書籍はなく、多作ではない哲学者だが、こういう論文が書けるのはすごいと思う。


2.2. 不同意[disagreement]

論文集

  • Feldman, R. & Warfield, T. (eds.). 2010. Disagreement. Oxford University Press
  • Christensen, D. & Lackey, J. (eds.). 2013. Epistemology of Disagreement: New Essays. Oxford University Press.
  • D. E. Machuca (ed.). 2013. Disagreement and Skepticism. Routledge.

論文

  • Kelly, T. 2005. Epistemic Significance of Disagreement. In T. Gendler & J. Hawthorne (eds.). Oxford Studies in Epistemology Volume 1. Oxford: Oxford University Press. 167-96.
  • Feldman, R. 2005. Respecting the evidence. Philosophical Perspectives, 19 (1): 95–119.
  • Christensen, D. 2007. Epistemology of Disagreement: the Good News. Philosophical Review, 116 (2): 187-217.
  • Elga, A. 2007. Reflection and disagreement. Noûs, 41 (3): 478–502. 
  • Lackey, J. 2010a. What should we do when we disagree?. In T. Gendler & J. Hawthorne (eds.). Oxford Studies in Epistemology Volume 3. Oxford: Oxford University Press. 274-93.
  • ― 2010b. A Justificationist View of Disagreement's Epistemic Significance. In A. Haddock, A. MIllar & D. Pritchard (eds.). Social Epistemology. Oxford University Press. 298-325.
  • Kelly, T. 2010. Peer Disagreement and Higher-Order Evidence. In Feldman & Warfield (2010). 111-74.
  • Weatherson, B. 2013. Disagreement, Philosophical, and Otherwise. In Christensen & Lackey (2013).

 既に述べたように私は修論では不同意[disagreement]を扱った。「意見対立」などと訳したほうがいいかもしれない。このトピックは現在では主要な論点は出尽くしてしまった感もあるが、2005年頃から盛んに論じられており局所的な流行を見せている。モノグラフとしては既に紹介したMatheson (2015)がある。論文集はいまのところ上述の3冊だけだと思う。論文は100本以上はあるが、特に重要と思われる論文を8本(早い時期のものを中心に)時系列で並べておいた。
 不同意の認識論は、非形式的な認識論と形式認識論にまたがった分野になっていると思う。上に挙げたものはそんなに形式的に難しくはないが、形式的に難しいものもある。たとえば「ゲーム理論的アプローチ」と題した論文もある(Heesen, R., & van der Kolk, P. 2016. A Game-Theoretic Approach to Peer Disagreement.(未読))。
 Thomas Kellyは一風変わった独特の議論を提示する印象がある哲学者で、Kelly (2005, 2010)は非常に重要な論文の2つである。Kelly (2005)は不同意の認識論というトピックが盛り上がるきっかけとなった論文といえるかもしれない(Feldman 2005もあるが)。David Christensenはこの分野で論文を何本も書いており、重要な参照点になっている。Richard FeldmanはEarl Coneeとともに証拠主義[evidentialism]という立場を擁護していることで知られているが、不同意でも論文をいくつか書いている。Jennifer Lackeyは証言の研究などで知られている哲学者で、不同意でも重要な論点を含む論文を書いている。Adam Elgaは、Elga (2007)はそうでもないが、形式認識論に強い哲学者で、いわゆる「眠り姫問題」を提示したElga (2000) Self-Locating Belief and Sleeping Beauty Problem.などの論文で知られている。単著書籍はないが、私が論文を5本くらい読んだ限りではとても素晴らしい認識論者だと感じた。Brian Weathersonも確率計算や意思決定理論などの形式的道具立てを伝統的な認識論の問題に持ち込むのが非常に上手な哲学者。言語哲学でも論文をいくつも書いており、分野の幅も広く多作で、こちらも単著書籍はないが、最も注目に値する認識論者のひとりだと思う。


3. 今後研究するつもりだったこと

  • Briggs, R. 2009. Distorted Reflection. Philosophical Review 118(1): 59-85.
  • van Fraassen, B. 1983. Calibration: A Frequency Justification for Personal Probability. In R. Cohen & L. Laudan (eds.), Physics, Philosophy, and Psychoanalysis.  (未読) 
  • van Fraassen, B. 1984. Belief and the will. Journal of Philosophy 81(5): 235-56.
  • Jeffrey, R. 1983. The Logic of Decision. University of Chicago Press.
  • Joyce, J. 1998. A nonpragmatic vindication of probabilism. Philosophy of Science 65(4):575-603
  • ― 2009. Accuracy and Coherence: Prospects for an Alethic Epistemology of Partial Belief. in F. Huber & Schmidt-Petri. (eds.). Degrees of Belief. Synthese. (未読)
  • Pettigrew, R. 2016. Accuracy and the Laws of Credence. Oxford University Press. (未読)
  • Shogenji, T. 1999. Is coherence truth conducive?. Analysis 59 (4):338–345. (未読)
  • ― 2018.  Formal Epistemology and Cartesian Skepticism. Routledge. (未読)
  • Titelbaum, M. 2014. Quitting Certainties: A Bayesian Framework Modeling Degrees of Belief. Oxford University Press. (未読)

 私は形式認識論に関心を持っているので、ここではその話をしたい。形式認識論といっても雑多なもののあつまりで、大きく分ければ確率的アプローチと論理的アプローチに分けられるような気がする。前者は確率的認識論[probabilistic epistemology]とかベイズ認識論[Bayesian epistemology]とよばれることもある。意思決定理論の哲学的研究が形式認識論に含まれることがあるが、これも確率的アプローチだといえるだろう。私は全然知らないのだが、論理的アプローチということでは認識論理や信念改訂論理(AGM理論など)などの論理学ベースの議論を意識している。ここ20年くらいで特に流行しているのは確率的な形式認識論だと思う(論理的な形式認識論が廃れているわけではない)。確率的認識論独自のトピックが盛んに論じられているだけでなく、認識論のほとんどの古典的トピックを論じるにあたっても確率計算を用いた議論は避けられなくなってきた。確率的認識論/ベイズ認識論とはいっても、求められる数学としては条件つき確率を中心とした初等的な確率計算に留まる論文が多い(それでも複雑なものは複雑だが)。とはいえ、大学教養程度の微積分・線形代数・確率統計を用いる論文はたくさんあるし、もっと数学的要求の高い論文もそれなりに書かれている。
 確率的認識論の中心的なトピックの1つに「度合いを認める信念である確信度[credence]はどうして確率の公理に従わなければならないのか」という問題がある。「合理的主体の確信度は確率の公理に従う」というテーゼは確率説[probabilism]とよばれるので、これは確率説の正当化をめぐる問いといえる。主観確率の基礎についての問いともいえる*1。確率説の正当化には4つの代表的論証がある。1つめはFrank Ramsey. 1926. Truth and Probability.(ほとんど未読)などに由来するダッチブック論証とよばれる論証で、2つめはLeonard Savage. 1954. The Foundations of Statistics.(ほとんど未読)で提示されている意思決定理論上の定理(Savageの定理;この種の定理はよくrepresentation theoremとよばれている)である。この2つは古典的な論証だが、これらについても今でも哲学論文が書かれているようだ。3つめはマイナーだが、van Fraassen (1983)に帰される較正定理[calibration theorem]とよばれるものである。4つめはJames Joyceが1998年の論文で提示したタイプの論証である。
 James Joyceは、『ユリシーズ』などで知られる小説家と同姓同名だが、こちらは意思決定理論などを専門にする哲学者。Joyce (1998)は正確性[accuracy]という概念を用いた新しいアプローチによる確率説の正当化を提示している。ベイズ統計学的なアイデアを取り入れたこのアプローチは革新的なもので、確率説の正当化を離れて様々な話題でaccuracyを用いたアプローチが試みられている(accuracy-based epistemologyという言い方がされることもあるようだ)。Joyce (2009)はJoyce (1998)に寄せられた批判に応答するとともにJoyce (1998)の議論に修正を加えた論文。いくつかのトピックについてのaccuracyを用いた論証を扱ったモノグラフとしてPettigrew (2016)がある。Joyceはほかにも影響力のある論文を書いている。私はこのaccuracy-basedの議論に強い関心を持っている。
 確率説の正当化が、確信度のある時点での合理性、すなわち確信度の共時的合理性をめぐる問いであるのに対し、「新しい情報を得たときに確信度をどのように更新するべきか」という問いは確信度の通時的合理性についての問いといえる。確信度の更新の古典的枠組みはベイズ条件づけ[Bayesian conditionalization]とよばれるものだ。哲学ではなぜか「条件づけ[conditionalization]」という用語が用いられるが、これはいわゆるベイズ更新である。不確実な情報による更新も扱えるようにベイズ条件づけを一般化したジェフリー条件づけ[Jeffrey conditionalization]というものもあり、Jeffrey (1983)で提案されている(第1版は1965年)が、これはWilliamson (2000)で批判的に検討されている。*2
 通時的合理性のトピックを2つ挙げておこう。ひとつは不同意の項で触れたElga (2000)で提示されている眠り姫問題のなかで焦点に浮上した論点で、自己定位情報[self-locating information]が従来の条件づけでは扱えないのではないか、というものである。眠り姫問題はそれ自体哲学パズルとして数多くの哲学論文を生んだが、自己定位情報をめぐるより一般的な問題も盛んに論じられている。このテーマのモノグラフとしてはTitelbaum (2014)がある。もう1つは、比較的古い論文だが、van Fraassen (1984)で提示されている反映原則[reflection principle]とよばれるもので、「「未来の自分がPを信じている」といま信じているならば、いまPを信じるべきだ」というような原則である(これは厳密には共時的合理性の問題とよぶべき側面がある)。反映原則には反例が幾種類も提案されているが、Briggs (2009)などでは、反例を取り込むような一般化も提案されている。
 これらが確率的認識論独自のトピックといえるのに対して、伝統的な認識論のトピックでは、私はほとんど勉強していないのだが、整合主義および懐疑論は、確率的アプローチの導入が最も進んでいるトピックの2つだと思う。この分野では日本人研究者であるShogenji Tomoji先生が活躍されているので挙げておきたい。Shogenji (1999)は「信念の整合性」というものを確率を用いて定式化しようとした最初期の試み。Analysis誌なので短い論文だが、日本人研究者の論文でGoogle Scholarの被引用数が150を超えており、これは(分析哲学では)素晴らしいことだと思う。整合主義というトピックではErik Olsson. 2005. Against Coherence. Oxford University Press.(未読)がモノグラフとして挙げられる(2005年なので最新とはいえないだろうけれど)。Shogenji (2018)は懐疑論をテーマにしたモノグラフ。私はパラパラ眺めてみただけだが、赤池情報量基準なども用いられていて本格的な確率的認識論の研究書となっているようだ。独断主義の項で触れたPryor (2013)も懐疑論への確率的アプローチの論文に含まれるといえる。
 私が博士課程に進んでいたらしばらくは上述のようなテーマを扱った文献を読みつつ、論文のネタを探す感じになっていたと思う。上述のようなテーマについての最近の概説としては、Oxford Handbook of Philosophy and Probability (2016)のSubjectivism の章やProbability in Epistemologyの章(この本は他の章もとても勉強になる)、またJournal of Philosophical Logic誌のKenny Easwaran. 2015. Formal Epistemology、同誌のJonathan Weisberg. 2015. You’ve Come a Long Way, Bayesiansなどがある。確率的認識論への入門書としては、最初のほうで紹介したBradley (2015)のほか、近々出るらしいKenny Easwaran. 2018. The Foundations of Bayesian Epistemology: A Philosophical Introductionという本も期待できる。入門でもサーベイでもないが、ほかの書籍として、Vincent F. Hendricks. 2005. Mainstream and Formal Epistemology. Cambridge University Press.やLuc Boven. & Stephan Hartmann. 2004. Bayesian Epistemology. Oxford University Press.は、著者も有力な研究者だし幅広い話題に触れられそうで読みたいなあと思っていたがけっきょく未読のままになっている。

*1:形式認識論(確率的認識論)に含めるべきではないだろうが、確率の哲学という分野もあるので簡単に触れておきたい。Donald Gillies. 2000. Philosophical Theories of Probability. Routledge.が優れた概説書として挙げられる。この本は邦訳もあるが、非常に質が悪いので邦訳だけで読むことは勧められない。日本語で読めるものとしては、内井惣七「賭・確率・帰納法――主観主義確率論の基礎――」(1974年,人文学報 (37), 1-74, 1974-02.)は主観確率についてまとまって論じられた哲学論文として挙げられる。内井先生によるラプラス『確率の哲学的試論』の邦訳(岩波文庫)についている解説も勉強になる。

*2:Richard Jeffreyについては、『形式論理学』という邦訳された論理学の教科書を知っている人は多いと思うが、哲学的意思決定理論や確率的認識論の代表的な先駆的研究者で、The Logic of Decisionは意思決定理論の哲学的研究としては最も重要な古典といってよいと思う。ついでに意思決定理論に触れておくと、哲学者が書いた教科書としてはMartin Peterson 2017. An Introduction to Decision Theory. Cambridge University Press.が挙げられる。私が読んだのは2009年の第1版だったが、誤植や簡単な間違いが多くてたいへん困った。第2版では修正されているだろうか。内容は幅広い話題が触れられていてとてもいいと思う。数学的な要求は高くない。意思決定理論について日本語で読める入門書だと、経済学系の本ではギルボア『意思決定理論入門』(2012年、NTT出版)が挙げられるが、Petersonの本はこれよりも包括的で本格的な内容になっている。日本語で読める意思決定理論の哲学的研究では、一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』(2016年、ちくま学芸文庫)にわずかながら解説がある。そこではニューカム問題が取り上げられ、因果的意思決定理論と証拠的意思決定理論の区別が扱われている。また、伊藤邦武『人間的な合理性の哲学』(1997年、勁草書房)の第4章が意思決定理論を扱っているが、これは難しい(ほとんど未読)。